あの日の君と Ver. 2.6
  重い病気により何年も入院している主人公が見た夢。それは幼い頃君と過ごした日々の思い出だった。



「ねえまってよ。」
「ほら早く、おいていくよ。」
  緑の草原。風が花を揺らし、夏草の匂いが鼻をくすぐる。暖かな太陽が二人を見下ろしていた。
  そんな夏のある日。
  楽しいひと時。


「…んっ。朝…か。」
  気がつくと、そこはベットの中だった。腕には何本かのチューブが刺さっている。もう慣れてしまった日常。普通ではありえない日々。しかし、それがもう自分ではほとんど動くことのできない僕にとってはいつものことだった。それが何日も何年も繰り返された生活なのだから。
「8時……。」
  時間なんて関係なかった。いくら時間が経とうともそれは意味をなさないから。ただ寝て、起きて、ぼーっとする。その繰り返し。
「お腹すいた。」
  だからと言って、特に物を食べるわけではない。というより、点滴によりすべてがまかなわれているからその必要もなかった。この数年はお腹がすくと言うことさえなかった。久しぶりの感覚。と、不意に母親がドアを開けて入ってきた。
「あら起きたの?何か変わったことはある?」
「別に。」
  母親の質問にそっけなく答える。こんな生活終わりなんてない。もし仮にあるとすればそれは死。変わりがあるとすればそれは病気が悪化すること。いや、むしろ変わりを僕は望んでいた。変わりを、変化を、変化……。
  そう言えばこの頃夢を見だした。夢と言うより思い出。幼いころ君と遊んだ日々を。自由な日々を思い出していた。あの日君は言ったよね、ずっと一緒にいようと。そして僕はこう言った。
「うん、大きくなったら結婚しよう。」、と。
  なにげない幼い日の約束。このことを君は覚えているだろうか?僕はこうなってしま ったけれど、君は今どうしているだろう?あの日の面影を残したままなのだろうか?それ ともまったく別の……。
  あの日君と交わした約束。
  ―眠たくなってきたので僕は目を閉じた。


  青い空と草むらがどこまでも広がる景色。そしてそこには君がいた。
「ねえ今日はどこに行く?」
「わたし森に行ってみたい。」
「うんわかった。じゃあ行こう。」
  そのころ森は入ると危ないからと入り口にはロープを張ってあった。でも幼いころの僕たちはそれをくぐって森の中へと入っていった。
  君が行きたいと言った森の中へ。
「わあ〜。」
  そこは今まで見たこともない世界だった。大きな木が生えていて、見たこともない花や草や木の実があり、変わったキノコが生えていたり、珍しい動物がいたりもした。そして、好奇心旺盛だった僕たちは、そんな不思議な森の魅力に取り付かれて、どんどん森の奥深くへと入っていった。
  気がついた時、周りはすっかり暗くなっていた。
「ねえ真っ暗だよ。おうち帰ろう。」
「うん。」
  けれどもうその時には周りがよく見えなかったし、夢中になっていたから、自分たちがどこから来たのかもわからなくなっていた。
「こわいよ。おうちに帰りたいよ。」
「だいじょうぶ、僕がついてるから。」
  僕たちは一際大きな木の下に座って朝になるのを待った。泣きも、眠りもせず、ただずっと二人で。
  夜が明けるのを。
「まだかな?」
「もうちょっとだよ。」
「本当?」
「うん、もうすぐ。」
  その時、時計なんて持ってなかったけど、僕は君を安心させるためにそう言った。
  それからどれくらい経っただろう。二人が眠りそうになった時、太陽が昇ってきて朝になった。
「あっ朝だ。」
「うん。帰ろう、おうちへ。」
  朝になって気がついたけど、その森はどこを見ても同じような風景で、まるで同じ所をぐるぐる回っているような感じがした。それでも歩いていると、今度は雨が降ってきた。だから僕たちは近くにあった洞窟に入って雨がやむのを待った。
「雨が降ってるね。」
「うん、降ってるね。」
  洞窟の外は前が見えないほどの激しい雨が降っていた。いくら夏とはいえさすがに肌寒く感じる。
「おうち帰りたいな。」
「だいじょうぶ、すぐにやむよ。」
  しかし、外の雨はいっこうに止む様子はなく、むしろより一層激しくなった。
「……おなかすいたね。」
  言われてみれば僕たちは昨日から何も食べてなかった。何か食べるものは無いかと探すと、ポケットの中に二つアメが入っていた。
「アメがあるよ。はい。」
  そうしてアメを食べながら今度は雨がやむのを待っていた。
  もちろん二人で。


「んっ……。」
  目の前にあるのはいつもの病室。変わらない風景。
「あら、起こしてしまった?」
  ベットの横で母親が花を飾っていた。黄色い花を、あの日見たヒマワリを。
「何?何かいいことでもあったの?うれしそうな顔してるけど。」
「別に。」
  慌てて反対向いて顔を隠す。母は何年も僕の世話をしてくれている。と言ってもタオルで体を拭くぐらいのものだけど。いるものはチューブを通して入ってきて、いらないものはチューブで出て行くから。僕にとってまた憂鬱な一日が始まる。変わらない一日が。
  ずっとぼーっとしているとまた眠たくなってきたのでまた目を閉じた。


  草原の真ん中にあるレンガ作りの家。その日君と僕は向かい合ってテーブルについていた。テーブルの上にある籠ににはいくつものお菓子が入っていた。そしてそれを食べながら二人ずっと話していた。
「あのね話したいことがあるの。」
「なに?」
  突然君が真面目にそう言った。しかし僕はきっといつものなにげない話だろうと思い、テーブルの上のお菓子に手を伸ばしながら答えた。
「あのね言わなくちゃいけないことがあるの。」
「だからなんだい?」
  だけどその日は君の様子がいつもと違っていた。幼い日の僕にも、君が何か大事なことを言おうとしているのがわかった。
「もうあえないの。」
「えっ?」
  一瞬僕は君が何を言ったのか理解できなかった。
「だからね……。」


「……という夢を見たんだ。」
  とある病院の一室。目の前には一人の女性が眠っている。その女性は成長した君だった。
  あの日からいったい何年経っただろう?窓の外ではもう雪がちらついていた。ここ数年君は目覚めることはなく、ずっとこの病室で眠っていた。そして僕は仕事の前に君に会いに来るのが日課となっていた。
「僕が君だったらという夢を。」
  そっと君の髪をなでる。君の腕からは何本かのチューブが伸びていて、それらは吊られている色々なパックにつながっていた。そして鼻と口には人工呼吸器がつながっていて、 それは常に一定のリズムを寂しげに刻んでいた。
「君もあのころの夢を見ているの?二人の思い出を。あの日の約束を。」
  返事はなく、部屋の中には人工呼吸器が息をさせている音が、ずっと響いていた。
  いつまでも、絶えることなく、ずっと。
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